「最近ちゃんと家に帰ってるんだね~」
「は?あんたに関係ないでしょ」

 いけ好かない男に突然絡まれて、思わず眉間に皺が寄ってしまった。五條は「言い方が可愛いくないよねー」などと呟きながら椅子へと腰掛ける。こちらが歓迎していないことは分かっているくせに、この部屋でサボる気満々らしい。仕方ないので少し相手をしてやることにした。

「犬を飼い始めたのよ」
「へえ、似合わないな。かわいいの?」
「そりゃね。けっこう大型犬なんだけど、なかなかお利口さんなのよ」
「ふーん。今度会わせてよ」
「まあ、機会があればね」

 セリフとは裏腹に冷めた視線を送ってくる男をさっさと追い出して、家で待つ愛犬の為にも目の前の仕事に集中することにした。

 硝子さん、硝子さん、硝子さん。
 顔が好き、声が好き、おっぱいが好き、足が好き、全部好き。どうか僕を捨てないで。

「硝子さん、帰るの24時過ぎる?」
「多分ね。眠かったら先に寝てても良いよ」

 ふわりと優しい手つきで頭を撫でられ、離れがたくて彼女に擦り寄ったけれど、抱き締めてはくれなかった。そのまま困った様に笑って「じゃあね」と立ち上がり部屋から出ていってしまう。彼女が消えていった玄関に走り寄り、ドアに耳を付けて彼女のハイヒールの音をしばらく聞いていた。コッ、コッ、コッ…。どんどん離れていくその音すら愛しくて、目を閉じていつまでもそこから離れられなかった。

 23時半。そろそろ帰ってくるだろうか。今日は彼女の為にだし巻き卵と和風のポテトサラダを作ってみたんだ。喜んでくれるかなあ。
 ソワソワと時計を見ながら待っていると、ふとカーテンの隙間から雨が降っていることに気付いた。いつからだろうか。しとしとと泣く様に窓を流れる水滴を見ていると、なぜか胸に不安が込み上げてくる。

「硝子さん、今日傘持っていったっけ…?」

 用意周到な彼女の事だから、きっと折り畳み傘や置き傘などの準備もあるのだろう。そう思ったけれど、万が一ということもある。やっぱり迎えに行こう。そう思い立ち、以前コンビニで買った大きなビニール傘を引っ掴んで駄犬よろしく彼女の元へと駆け出した。

 駅前で硝子さんの姿をキョロキョロと探す。もうすぐ終電だし、タクシーで帰ってしまうだろうか。連絡を取ろうにも、スマホすら持っていない自分が情けない。何せ僕は血の繋がった家族にすら捨てられたニートだ。良いところなんて何一つない駄目な男。硝子さんは何でこんな僕と一緒にいてくれるんだろうか。
 傘で顔を覆い悶々と考えている間に、ついに終電が到着したらしい。パッと顔を上げて視線を彷徨かせていると、ついに彼女の姿を見つけた。そして、愛しい人の横には知らない男。雨で視界も悪くよく見えないけれど、背が高くて、高そうな服を着ているイケメン。二人を食い入る様に見つめて呆然と突っ立っていると、硝子さんよりも先にイケメンがこちらに気付いたようだった。スッとこちらを探るみたいに細められた視線から逃げる様に走り出せば、後ろから彼女が何か叫んでいるのが聞こえた気がしたけれど、止まることはしなかった。

 しばらく街を彷徨ったけれど、何も持たない僕には行くところなんてなくて、結局硝子さんの部屋へと帰ってきてしまった。グスグスと情けなく泣いている僕を硝子さんは優しく抱き締め、部屋へと入れてくれた。