「ただいまーって…そっか、誰もいないんだったな…」

仕事から帰宅し、自宅マンションのドアを開けた俺は図らずもそう呟いてしまった。
ここで一緒に暮らしてきた妻と息子は、現在妻の実家に身を寄せている。俺と妻との間にすれ違いが生じ、それが別居状態に発展するまでにそう時間はかからなかったと思う。今思えば事態が進行する前に打てる手もあったのだろうが、事こうなってしまった以上もはや手遅れだろう。近いうちに離婚調停などの話になることも覚悟しておかなくては…。

ぼんやりとそう考えたところで、腹が空腹を訴えていることに気づいた。食べないとまずいが、今から作る気力も起きない。

「コンビニでも行くか…」

ボソリとそう呟き、俺は再び玄関へと向かった。

自宅近くのコンビニにたどり着いた俺は、その店の中でしばらく足を止めることになった。と言っても買うものに迷ったというわけではない。普段知り合いと出会うことなどなかったその店で、ある意外な人物を目撃したからだ。予期していなかったことゆえその人物の方を数秒間見つめてしまう。すると相手もそれに気づき、俺に向けて声をかけてきた。

「あっ…タクヤ君のお父さん!お久しぶりです!」
「あっ…藤林…先生」

藤林杏先生。去年息子が卒園した幼稚園で、長い間担任を務めてくれた人だ。直接会ったのは数回だけだったが、息子から何度も話を聞くうちにその人となり、そして息子が他の誰より懐いていたことも少しずつ分かってきていた。
息子が幼稚園から巣立った今、もう会うことはないと思っていたが…。

「ご自宅この近くなんですね!懐かしいですね!また会えるとは思ってませんでした!」

よほど嬉しかったのか、藤林先生は明らかにテンションを上げてまくし立てる。既に二人とも支払いは済ませていたため、そのまま店の外で話の続きをすることにした。

「こっちもまた会えて嬉しいです。先生もご自宅この近くなんですか?」
「そうなんです。今日は仕事が長引いちゃって…今帰り道だったんですよ」
「毎日遅くまで大変ですね」
「いえいえ。お父さんこそ…いつもお疲れ様です」

当たり障りのない会話だったが、久々に楽しく話せたように思う。しかしそんな楽しい時間も長くは続かない。彼女が幼稚園を通じて知り合った相手である以上、こう聞かれるのは必至だった

「そう言えば…今タクヤ君お元気ですか?」

俺は正直答えに迷った。今後頻繁に会うこともないなら、嘘をついてこの場を丸く収めてもいいのではないか?